ロンドン・ホームズ協会創立60周年記念行事

眞下 庄作

 ロンドン・ホームズ協会が1951年に創立されてから60周年を祝う記念行事や総会が5月19日(木)から22日(日)までロンドンの近郊で行なわれた。昨年、「シンプソン・イン・ザ・ストランド」で関西支部がロンドン・ホームズ会との昼食会でご馳走になり、お祝いのメッセージを送ったところ、その模様を伝えて来られたので皆様にご報告します。

 初日の5月19日(木)は15時半から17時まで国会議事堂貴族院内のテラスでマクレガー議員による60人限定によるアフターヌーン・ティが25ポンド/人で開かれた後、18時からは場所をホワイトホール・プレイスのナショナル・リヴェラル・クラブ(サヴェッジ・クラブ)に移し、協会の年次総会、晩餐会が35ポンド/人で行われた。年次総会では45分で議題に沿って参加者の出欠、昨年5月総会の質疑事項の確認、昨年12月末現在の理事役員候補者の指名、報告、2011年度予算と年会費の確認、理事役員選挙ではマリオット会長、マッカファーテイ議長、名誉会計1人、名誉書記2人、名誉編集長2人の選出では昨年と変わらない留任となり、続いて常勤評議員6人と会計事務所の改選が行なわれ、その後懇談夕食会が開催された。

 5月20日(金)朝の10時から午後にかけて無料でマリルボン図書館キャサリン・クック司書によるコレクションの解放と1951年英国祭の再展示がされ、クックさんによるコレクションの解説・講演が開かれた。17時過ぎから21時にかけて、79ポンド/人でレンデル男爵夫人による国会議事堂貴族院の食堂「コルモンデレィ侯爵の間」でゲストは、1951年の英国祭で創立者の一人であるアンソニー・D.ハウレット夫人(アルフレダ)名誉会長、ゲスト講演者は、《ホームズ物語》60篇の新注釈本で有名なレスリーS.クリンガー氏であった。60周年記念晩餐会が出席者選考により120人限定の人数で行われ、故バーナード・デイヴィズの永年の大親友であった佐藤明子評議員も出席された。そして日本シャーロック・ホームズ・クラブ他、海外からのロンドン・ホームズ協会への60周年のお祝いメール(A Capital Diamond Jubilation!) がマッカファーテイ議長から晩餐会始めの挨拶の際に読み上げられた。 2007年の滋賀県・長浜で開催の日本シャーロック・ホームズ大会で祝電を戴いたお礼に差し上げたものである。

 5月21日(土) この日の参加者はエンバークメント桟橋10時50分発のテムズ河クルーズ船でグリニッジへ上陸、散歩しながら、12時にネルソン街「バー・デュ・ミュゼ」に集合して23ポンド/人、40人限定で2コースの昼食を取った後は、ツワー・ガイドによる映画「シャーロック・ホームズ」の世界に、《四つの署名》のテムズ川追跡に浸りこみ天文台、海軍学校、博物館等を見学、散歩した後は、17時半から20ポンド/人、30人限定でマゼ・ヒル駅近くの「トラファルガー・タバーン」で、《バスカヴィル家の犬》の音楽をバックに夕食、その後散開した。

 5月22日(日)の最終日は12時半から《瀕死の探偵》の栄養補給にあやかり、記念行事で疲れた体を癒す為、30ポンド/人をかけ、しかも30人限定で有名なレストラン「シンプソン・インザ・ストランド」でヴェジタリアン/魚/肉の3コースで2時間ほど歓談をして寛いだ。14時半には特製の「シャーロック・ホームズ」の行先表示された1965年製ダブルデッカーの巡礼バスがレストラン前に横づけされ、途中カバンデッシュ・スクェアで乗客させた後、故バーナード・デイヴィズが2008年に著した立派な二冊の研究本の舞台《空き家の冒険》やベイカー街221bに着き下車、近辺のミューズを歩き、16時過ぎに18ポンド/人、35人限定で「シャーロック・ホームズ・ホテル」でアフターヌーン・ティを味わい、後三々五々解散した。

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