クラブ主宰者小林 司さんご逝去

 日本シャーロック・ホームズクラブの設立者で、夫人の東山あかねさんとともに主宰者としてクラブの運営にあたられた小林 司さんが、9月27日(月)に骨髄異形成症候群のため逝去された。享年81歳。

 小林氏は、昭和4年に青森県弘前市で生まれ、東京大学大学院で医学を修めた。フルブライト留学生として米国で研究、精神薬理学を専攻した。医学博士。

 帰国後は上智大学カウンセリング研究所教授などを歴任し、精神医学の道を歩まれたが、文学の念やみ難く、昭和49年から著述に専念。別に筆名も持っている。クラブでは本名を使用された。

 昭和52年に日本シャーロック・ホームズクラブを設立、主宰者となり、ホームズ関係の多数の著作と翻訳をおこなった。わが国には欧米の多くのホームズ研究やホームズの楽しさを普及にあたった功績は大きなものがある。医学の道をすすみながら、文学の道を目指し、その中でも名探偵ホームズで大当たりという経歴は、コナン=ドイルと一脈通じるものがある。会員番号は770002。

 春夏の大会にはずっと主宰者として出席し、地方の会員にとってホームズ本の入手が難しかった当時、古書店で見かけたホームズ本を買い求めて大会場で販売されたり、軽井沢セミナーでは参加者に山荘を開放するなど、会員のために多くの貢献をされる姿が見られた。体調を崩されてからは、大会も欠席されるようになり、本年の夏の大会には小林さん欠席後も皆出席であった東山あかねさんも看病のために欠席され、現場をありのままに見る参加者にはある種の予感を与えていた。

 告別式は近親者のみで済ませれたが、JSHCにとっては大きな存在を失った。

 関西支部の活動についても東京までやって来るのにはお金も時間もかかることであり、どうぞ関西の人々のために活動して下さい、と暖かい配慮をいただいていた。ホームズ研究の奨励のため軽井沢セミナーを発案され、軽井沢のホームズ像建立にも力を注がれ、日本のシャーロック・ホームズの研究と愛好活動に多大の足跡を残された。

 関西支部として心からご冥福をお祈りします。         平賀 三郎

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