第185回仏滅会報告
2010年10月16日 中央電気倶楽部で第185回仏滅会が行われました。会場はディオゲネスクラブの様な、格式のあるクラブである!…と聞かされておりましたので「庶民が、何しにきた!」とか言われて入れて貰えなかったらどうしようかと、入口でドキドキいたしました。しかし受付のおばさま方は、とても親切な方でしたので良かったです。趣のある玄関ホールと喫茶室奥ではビリアードができ、雰囲気のある所でした。 当日は、編著者からロゴ入り(勿論ホームズの)メモ用紙が参加された皆様に配られるという、素敵なお得がございました。 パーティーといいましても、前半は仏滅会、いつもの様にWEJ発送作業はありました、ご協力いただきました皆さまありがとうございました。 本日のメイン発表の前に、JSHC設立者である小林司さんの死を悼み、参加者全員で黙祷を捧げ、故人のご冥福をお祈りいたしました。 小林司さんの「死」は、突然訪れたように感じます。故人については、皆様の方がよくご存じだと思いますので、ここで語る事はいたしませんが、JSHC設立して下さってありがとうございますと、心の中でお伝えいたしました。 さて、今回の仏滅会は、出版記念パーティーも兼ねておりましたので、筆者の方々を「先生」とお呼びする事にいたしました。なんせ、執筆家の先生には違いありませんから! いかがでしょうか、先生方。ご自分のお名前で書かれた文章が活字となって都心の書店に並んでいるのをご覧になったご感想は。 ところが小林司先生もそうだったそうですが「先生ってよばないで下さい」と当日ご発表頂いた群馬県からお越しの鈴木さんからご注文がありました。しかし!「ホームズ学は私の道楽」の発表をお聞きいたしましたら、文句なしの「先生」に違いありません!是非「先生」と呼ばして頂きたいと思いました。 時間だけかけても「学」には成らないし、お金だけをかけても「道楽」には成らない。そこには「ホームズ学」を考える「知恵」がそして「知識」が必要なんだと思います。 参考図書・参考文献の入手、当たれるだけ当たっていく!その心意気が格好良いです。(新聞とかでも最近は、孫引きやひ孫引きでも平気ですから困ったものです)あと、ずっと続けるその情熱も凄いと思いました。 鈴木さんがいつまでもお若く元気なのは、ホームズ学のおかげもあるのかもしれませんね。 素晴らしいお話の後は、ちょっとティータイム。鈴木さん、原田さん差し入れありがとうございました。とてもおいしかったです。 自己紹介・近況・そして筆者の方々からの一言と…話し始めたら誰が止めるんだろうと思うぐらい話が尽きないものです。皆さんそれぞれにそれぞれで…筆者の方々の苦労話は前のWEJ391号に書かれておりますので、ご参考にして下さい。 17時には同じクラブ内ですが、場所を変えてお食事会に。 趣のある本館に渡り、お食事会場に続く数段の階段は、レッドカーペットで、この前で写真を撮れば、新閣僚発表の様になっただろうなと思いました。写真撮っておけば良かったです。 お食事が始まる前に、素晴らしい福島さんのヴァイオリン演奏がありました。曲目はグラナダのオープニングテーマで、皆様の心を掴んでおりました。お祝いのお言葉は、小澤さんから頂きました。ほんとにその場で急遽お願い致しましたのに、笑いのエッセンスを忘れないトークにはびっくりいたしましたよ!さすがでございます。 乾杯は林さんに…。飲めない林さんにお頼みしてしまいました。お頼みした後で指摘がありましたが、ご本人様には快くお引き受け頂きました。ありがとうございます。 パーティー会場内では、誰にでも執筆者の先生方がおわかりになる様に、赤いリボンを付けて頂きました。ご本が赤かったので、赤いリボンなんですが…広島県から原田先生もご参加頂きましたが、おわかり頂けましたでしょうか? その後は、飲んで・食べて・お話しして! 美味しいお食事だと、お話の方も花が咲くようで、アッという間の2時間が過ぎてしまいました。 こんな素敵な会場を見つけて頂いたのは、眞下さん!ありがとうございました。今回、特別例会ではございましたが、新しい方にもお越し頂けましたし、皆々様も楽しいひとときをお過ごしされたかと思います。お名残り惜しい人々は、すぐ近くのパブ・シャーロック・ホームズへ。これもお定まりのコースです。 『ホームズなんでも事典』が世の中に行き渡り、シャーロキアンが、より一層増えます事を心より願っております。 シャーロキアン参加者 鈴木 利男 田村 朋子 渡辺利枝子 平賀 三郎 翠川こかげ 原田 実 相宅 史子 三宅 俊行 見吉 時枝 西田 千穂 眞下 庄作 小澤 聰 粂 正幸 外海弘美子 福島 賛 中尾 真理 外海 靖規 中村喜代美 山口 敬多 久武 正則 西浦 寛 林 庄宏 長谷川明子 森川 智喜
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