2月の話題

関西支部30周年を迎える

 関西支部は、昭和56年12月に発足後30周年を迎えた。この間に例会である仏滅会を 187回開催、会報「ウエスト・エンド・ジャーナル」を395号発行した。2月5日 (土)に開催した仏滅会の当日、朝日新聞(兵庫版)にはこれを紹介する「ホームズ 愛重ねて30年」との記事も掲載された。

 ここで設立当初の経過を振り返ってみよう。

1 前史  昭和55年8月のJSHC夏の土浦大会(第5回・当時はつどい)に出席した関西の松下了平、津田昌信の両氏は「昭和56年の夏の大会は関西で」との要請を 受けた。当時は各地に在住する会員に、大会開催を要請することによって、支部の結 成、会員の確保などの組織増強活動を行っていた。

2 関西地区会員のつどい

 松下・津田の両氏の2名のみで大会を開くことに無理を感じた2人は関西地区会員 の会合を呼びかけ、昭和55年12月27日に、梅田のパブシャーロック・ホームズで会合 を開いた。参加者は、松下、津田の他に清水武彦、林茂秀、南谷樹一郎の5名、他に 山川(後に鈴木姓、当日欠席)、毎月1回程度パブで気楽な話をするディオゲネスク ラブのような会合を開こうと申し合わせた。そして、昭和56年の会合で、昭和56年夏 の大会を引き受けることを決めた。

3 京都大会準備委員会の発足

 昭和56年3月は、清水が大会会場として京都堀川会館を確保し、前記の他中川はる み(後に若林)、川森律子を加えて、大会準備委員会を編成した。その後坂元重康も 参加した。

4 京都大会の開催

 昭和56年9月に、清水氏が中心となって京都大会を開催した。JSHCとしては第7回で、この会から従来は「シャーロック・ホームズの集い」と称していたものを 「JSHC大会」と称するようになった。

5 関西支部の結成

 大会終了後、関西在住の会員による関西支部設立が計画され、松下、中川、川森、 坂元、大日方弓子らによって準備が進められ、昭和56年12月13日に、大阪梅田の弥生 会館で第1回の仏滅会が開催され、関西支部が発足した。ただし、「関西支部」とか 「仏滅会」の名称は、正倉院を名前に取り入れるべきであるなどの意見が出て、当初 は「正式名称は未定」としていた。出席者は23名である。

 しかし、次第に会の名称は「JSHC関西支部」、例会の名称は、第1回会合の会 場探しの中で、仏滅の日は会場が空いているところから、仏滅の日曜日に開くことが 多く、誰言うとなく「仏滅会」に落ち着いた。またディオゲネスクラブは会の郵便貯 金口座の名称に採用された。

 初代管財人は林、第2回の仏滅会は昭和57年2月21日に開かれ、出席者は17名であった。

 昭和57年12月2日に仏滅会結成1周年記念パーティー兼忘年会を開いている(出 席9名)。

6 「ウェスト・エンド・ジャーナル」の発刊会の機関紙としての「ウェスト・エン ド・ジャーナル」は、昭和57年1月31日付で、第1巻第1号通巻1号が発刊された。編 集人は中川、 発行人は川森、編集・執筆者は松下と大日方である。B4版タテ位置 ビラ形式で、すべて手書きである。第2号は昭和57年4月25日に発行されている。昭 和58年3月26日には第7号として創刊1周年記念号を発行している

7 第1回仏滅会出席者(○印は現在も継続している人)

 岩手 明裕  坂元 重康  井上  豊  増市  徹  小河いずみ

 ○宗 田ちほ子  大日方弓子  中川はるみ ○林  茂秀 ○田村 耕三

 山本 玲子  清水 武彦  佐々木文子  松下 了平  川崎  昇

 南谷樹一郎 ○関  正臣  木寺知早子 川森 律子 ○我孫子栄一 

 寺杣伊左衛門

 当日の次第は、出席者自己紹介、研究発表「続ホームズ譚と聖書」清水武彦、関西 支部の活動についての意見交換である。清水氏の発表は、京都大会での発表の後半部 分である。終了後パブ・シャーロック・ホームズで二次会を開いた。

 なお、初会合には参加できないが、二次会から合流した家次房夫とパブのオーナー 津田がいる。この時以来、二次会からの参加者も出席者とみなすとの暗黙のルールが 成立している。

2011年2月5日 朝日新聞 神戸版

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