8月の話題

ロンドンオリンピック開催

 一つの都市としては、1908年、1948年に続いて3回目の開催となったロンドンオリンピックが、7月27日(金)から8月12日にかけて開催された。

 メインスタジアムはロンドン市街東北部のストラトフォード(エイボン川には面していない場末の地区)のオリンピックパークに建設され、大陸に直結するユーロスターのロンドン・ターミナルがテムズ南岸のウォータールー駅からベーカー街に近いセントパンクラス駅に変更されていたが、線路はメインスタジアム前を通過し駅も特設された。セントパンクラス駅のコンコースには、早くから五輪の大きなマークが掲げられていた。

 開会式の7月27日には、アーチェリー競技が開始されたが、大半は翌28日から、ただサッカーは開会式前の25日からイングランド、ウェールズ、スコットランド各地のサッカースタジアムで競技が始められた。日本チームは金メダル7、銀メダル14、銅メダル17、合計38のメダルを獲得し、メダル数では最高となった。

 ホームズお馴染みの地では、ハイドパークでトライアスロンとオープンエア水泳が行なわれた他、圧巻はマラソンコースである。ロンドンのウエストミンスター地区とシティ地区の歴史の街を巡回する、これぞロンドンと言うべきコースが設定された。

 スタート地点とゴールは、バッキンガム宮殿からトラファルガー広場に通じているザ・マルの中央付近、東に向ってスタート、ドイツ大使館があったカールトンハウス・テラスを左に見て、アドミラルティアーチを潜ってトラファルガー広場に出る。カールトンハウス・テラスの北の通りがペル・メル。ここにはマイクロフト・ホームズやギリシャ語通訳のメラスが住み、斜め前の建物にディオゲネス・クラブがあった。マイクロフトは、家、ディオゲネス・クラブ、ホワイトホールの役所を結ぶ軌道をはずれる事のない生活をしていたが、このマラソンコースの途中でザ・マルを横切って通勤していたはずである。トラファルガー広場では噴水池が有名であるが、失踪した花嫁パティ・ドーラン嬢の死体をレストレード警部が、ハイドパーク内のサーペンタイン池をさらって捜したと聞いて、花嫁は生きていると推理していた。ホームズが「この噴水池も捜したか?」と混ぜっ返している。死体が沈んでいたらすぐわかる小さな池である。またワトソンが「ホームズ暴漢に襲われる」との記事が載っていた夕刊紙を見て驚いたのもこの付近である。

 トラファルガー広場を右折して、パブシャーロック・ホームズや、ホームズらが利用したトルコ風呂があった建物、スコットランドヤードの通りの入口を見てヴィクトリア・エンバンクメントに出る。テムズ河畔を右折、ビッグベン前のウエストミンスター橋の上でUターンするが、その直前に二代目スコットランドヤードであった建物が建っている。セントジェイムズ公園の南側を走ってバッキンガム宮殿の前に出て、ヴィクトリア女王像を半周し、ザ・マルのスタート地点に戻る。ここまでのファーストループが約3.5キロである。

 次は、ヴィクトリア・エンバンクメントまで同じ道を走ってから左折、テムズ河畔を一路ブラックフライヤーズ橋まで走ってシティの町中に入る。左折してすぐの所にエンバンクメントの駅があるが、ホームズのウォーキングツアーはここから出発する。その先のウォータールー橋の下をくぐる。この辺りでオレンジの種が五つ入った手紙に関わる事件を相談に来たオープンショウ青年が謎の水死を遂げた。弁護士ゴドフリー・ノートンが事務所を構えていたテンプルの裏側も通る。

 ここから旧市内めぐり、セントポール大寺院、聖バーソロミュー病院の横手、イングランド銀行や王立取引所、ロンドン大火記念碑を見てタワーヒルのロンドン塔の北側でUターンする。すぐ先のタワーブリッジにも大きな五輪マークが掲げられている。セントポール大寺院は事件現場ではないが、《四つの署名》でホームズらがウエストミンスター橋近くの桟橋から警察のランチでオーロラ号を追跡した時に、建物に夕陽が映えて印象的であったあようだ。シティのはずれに赤い髪のウィルソンが営んでいた質屋があったサウス・コバーグ・スクエアやシティ・アンド・サバ?バン銀行、株式仲買店員が勤務していたコックソン・アンド・ウッドハウス商会などの近くを走ったのであろうが、どこだかよくわからない。

 復路はキャノン街駅の前を経てヴィクトリア・エンバンクメントに戻ると、一路西に向って走り、ビッグベンからバッキンガム宮殿を経てスタート地点に戻る。この大ループが一周8マイル、これを3週して、ファーストループとあわせて42キロ余のマラソンコースが成立する。キャノン街駅は、郊外のリーに住む堅気のサラリーマン、ネビル・セントクレアが毎日通勤していた駅で、駅近くにアヘン窟やヒューブーンが変装するために借りていたアジト、アバディーン汽船会社などがあったが、今はごみごみした波止場はすっかり再開発されて新しくなった。

 トライアスロン会場となったハイドパークは、プロフェッショナルビューティーとも言うべきアドラーとノートン弁護士が毎日のようにデートしていた場所、ワトソンもケンジントンの医院からベーカー街のホームズを訪ねた時はよく通った。その北東の隅にあたるマーブルアーチの近くのパークレーンにロナルド・アデア卿が射殺された建物があった。北側のランカスターゲートの通りにある新居でセントサイモン卿と結婚披露を挙げる予定になっていた失踪した花嫁は、花嫁衣裳の上からコートを羽織ってハイドパークに入って行った姿が目撃され、トライアスロンとオープンエア水泳の会場となったサーペンターイン池に脱ぎ捨てた花嫁衣装が見つかった。

 この、ロンドンの名所と歴史の街を走り抜けるとともに、途中で狭い路地を通り抜けたり、何回も角を曲がったり、石畳道で屋根付きのアーケードであるレドンホール・マーケットを通るなど、さすがにウィットにあふれた英国人が設定したマラソンコースである。

 ストランドやベーカー街はコースに組み込まれていないが、ロンドンの魅力のなかを走ったのである。

戻る

inserted by FC2 system