3月の話題

 

  3月のベーカー街のホームズ

 

「2月は逃げる」との言葉がある。四季のうつろいがある日本ならではの表現である。

お正月に新年を祝い、寒い冬の日を過ごす中で、2月は最も寒い時期でもある。また28日しかない短い月であり、やがて3月になれば春が来るとの気持ちがこもっている。28日しかなので、2月はすぐに終了との数学的な表現では決してないだろう。寒さに耐えて桜だよりが聴かれる3月を心待ちにするとの心情が含まれている。

 ホームズは、鬱陶しいロンドンの霧などは決して好んでおらず、青空や陽光にはあこがれを持っている。暗く寒いロンドンからサセックスダウンズに転居したのはそのあらわれである。しかし四季のうつろいや、年中行事にはそれほど関心を示していない。

 《青いガーネット》で、ワトソンがクリスマスの祝いを言うためにベーカー街を訪れた年も、ホームズはことさらクリスマスを祝った様子もなく、一人で部屋に居て古いフェルト帽を虫眼鏡やピンセットでひねくり回して調べていた。英国では正月を祝う風習よりもクリスマスを盛大に祝う。守衛のピータースンはクリスマスには大英博物館近くのパブで深夜まで遊び、鵞鳥を肩にして未明に家に帰っている。

年中行事には無縁で、事件の依頼もなかったので、221Bの部屋でガウンを着てパイプを手にしながらぐたぐたしていたものと思われる。ワトソンンもクリスマスの当日はメアリ・モースタンとクリスマスを祝ったのであろう。ベーカー街に顔を出したのはその2日後のことであった。ホームズは1月6日の自分の誕生日の方が大切だったかも知れないが、この日にお祝いの食事会を行ったような様子もなく、記録もない。

 ロンドンの冬は寒い。各家庭では暖房のためにストーブを終日焚いていただろうから、鬱陶しい冬空が煙によるスモッグで余計に曇り、薄暗い毎日であったことだろう。クリスマスに花束を持って訪れる彼女もいたとは思えない。一人で部屋にくすぶっていたのである。

 日本では、3月は年度末であり学年末・学期末でもある。4月から新しい年度・学年が始まり、新しいスタートを前にして、期待にあふれ、心も華やぐ月である。英国では学校も9月に始まり、年度途中の普通の月の一つである。4月からの新しい生活にワクワクしている人もいない。春が訪れ、ウキウキした心で野山に繰り出すのはメイデイ、5月である。

 ホームズの3月は、ガウン姿で暖炉の前の肘掛椅子にとぐろを巻き、気に入ったパイプをくゆらせている毎日であっただろう。「人生は平凡で陳腐だ」とか「新聞は空疎だ」などとぼやきながら。

 ホームズの事件簿で3月の事件は少ない。《緋色の研究》以外には3月の終りに近い冷たい風が吹く日の事件《ウィステリア荘》と温かいコーンウォールの転地療養に出かけた《悪魔の足》のみである。

3月は奇怪な事件も良からぬ犯人も、まだ冬眠中なのであろうか。

 

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