二月の話題

覆りつつあるJSHCのホームズ知識

 

最近、JSHC内で通用しているホームズに関する常識がいくつも覆っている。

例えばホームズの誕生日である。事件簿中には全く明記されておらず、1854年生れであることを示唆する記述が散見されるのみであり、日付はいずれも推測の域を出ていない。その中で有力とされるものに1月6日説がある。これはある有名シャーロキアンが自分の誕生日をホームズの誕生日に仕立てるため、文学オンチのホームズがシェイクスピアの十二夜のセリフを2回も口にしていることに注目し、これは十二夜である1月6日が誕生日であるからだとの頓智の説を提唱したことによる。ここで困るのは、事件簿中に他の日であると指し示す根拠も、この日ではないとする記述もないことである。だから「まあこんな説もあるからいいっか」とばかり、ロンドンホームズ協会ではこの日に国会議事堂で新年会を開き、関西支部では昭和最後の年に大阪でホームズ先生お誕生会を開いた。故南谷樹一郎氏は、バイオリズムを手掛かりにして1854年5月15日説を提唱している。大川一夫氏は5月22日説、南浦和うらら氏は10月30日説である。しかし主流は1月6日説であった。ところが十二夜は1月6日よりも1月5日とする方がふさわしいとする本が出た。ノーベル賞の本庶博士は「教科書に書いてあることでも自分で確認するまでは信じない」と言っておられるが、シャーロキアンはどこかの本、誰かの説に出ているとそのまま孫引きしてしまうクセがあるのかも知れない。どの本に何が書いてあるかを知っていることは、物識りには違いないが、本庶博士なら「内容を確認していない教科書」である。

また小林・東山訳の全集では、ジプシーは差別語なのでロマと訳しているが、やはりものの本によればこれは思い過ごしのようである。また小林・東山訳全集でも日暮訳全集でも《青い紅玉》の原題のカーバンクルの訳をガーネットに変更した。延原謙訳は「青い紅玉」であったが、これを延原展氏の改訳で「青いガーネット」に変更した。これにならったのかも知れない。これも識者の本によればむしろガーネットと約するのは不適切、むしろカーバンクルのままの方が正当のようである。同じく宝石で発見した守衛のウィルソンについて、221Bでは守衛を雇っておらず、「守衛」を「傭兵軍人組合の組合員」と苦肉の訳に改めた。しかしよく調べると、すぐ隣に高級品を扱う店が並ぶ商業施設があり、守衛が勤務していたようで、「守衛」で一向に不思議はない。もう一押し検証が足りなかったようである。

 これが、ホームズのことは一番知っているはずのJSHC会員が研究して指摘したのではないのが残念である。文献の孫引きではなく本庶博士とまではいかなくてもよく調べて自分のアタマで考えることがホームズ研究に必要であろう。

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