5月の話題

新緑の追分で盛大にフォーラム開く

 

 軽井沢追分に世界で2番目のホームズ像が建立されて30年、本年はホームズに関する講演会に加えて展示会も行って、非営利の文化団体らしく広く地元の町民や、折から10連休を利用して滞在中の別荘族にも無料で公開し、盛大に開催した。

 期間は5月4日〜6日の3日間、例年は2日間であるが強化された。場所はホームズ像に近くの追分公民館である。

 先ず、前日に軽井沢入りしていた有志が三々五々追分公民館に集まり、会場設営と展示の準備を行った。その途中にSBC信越放送のキャスターが取材に訪れ、平賀さんと森田さんがインタビューを受けた。本年は信濃毎日新聞など地方紙2紙、SBCなど地方ラジオ局2社の取材を受け、信濃新聞は事前の4月13日にホームズ像の写真入りで大々的に報道され、この新聞を見て訪れた地元民が多かった。ラジオの内FM軽井沢は5月3日に平賀さんに事前インタビューして4日のお昼時に放送された。軽井沢新聞も4月号に軽井沢の行事予定として掲載した。これらマスコミの報道は、追分フォーラムが軽井沢セミナーのように会員のみの内部行事ではなく、広く公開しているところから町内の文化行事として取り上げられているものである。前日に現地入りし、準備などを行った会員は、中軽井沢の料理店で前夜祭を行い、前日から軽井沢の味を楽しんだ。

 5月4日の第一日は展示場を9時に開場、WEJ498号掲載の展示品(世界のホームズ像写真、追分ホームズ像除幕式関係資料、ライヘンバッハ滝などスイス関係写真、ロンドンの地下鉄ベーカー街駅の壁画などロンドン関係の写真、エディンバラのパブ・ドイルなどエディンバラ関係の写真、その他1843年のロンドン地図、ホームズを掲載したストランドマガジン誌など)を熱心に見入る地元参加者が姿もあった。

 午後から講演会、当初は故鈴木利男校長による「コナン=ドイルは二重姓―複合姓説研究」が予定されていたが、3月6日に逝去されたため「最後の晩餐」ならぬ最終講義も聞くことが出来なかったのは残念なことであった。

 一時間目は中尾さんによる「カササギ殺人事件とホームズ」、まるで大学の英文学の講義を受けているようだと喜ぶ一般参加者もいた。二時間目は平賀さんの「まだらになった《まだらの紐》」、一般参加者にも解り易いように複雑な内容を解り易く話してくれたとの参加者の声が寄せられた。三時間目は新野さんの「ホームズの世界における死の統計」、流石に医療関係の仕事をしているだけに配布資料も充実し、他で使っても良いかとの問合せもあった。

 一日目のプログラム終了後は、楽しい会員の親睦タイム。宿泊のペンションのオーナーシェフが腕をふるったディナーを囲んで会食懇談した。教頭役の見吉さんご持参のピュアモルトのスコッチウィスキーもふるまわれて談論風発、話題が必ずしもホームズのみとは限らないが笑顔があふれた。

 席上、今春結婚された新野さんに対して渡辺さんからお祝いの言葉が述べられ、お祝いのブランデーが贈呈された。本年の追分フォーラムはホームズ研究の場であると共に冠婚葬祭の機会でもあったようだった。

 5月5日の2日目は、9時から講演会と展示会が同時進行、4時間目として長谷川さんの「ホームズ物語とドイツ・オーストリア」が行われた。4月仏滅会での発表に続く充実した内容で、こちらも大学の講義なみの内容を解りやすく講じられ「授業料はいらないのですか」との問い合わせもあった。

 5時間目は眞下さんの「演劇シャーロック・ホームズの誕生・裏話3」で、詳しい資料が配られ、参加者一同からよく調べたものだと感嘆との表情が見られた。

 1日目と2日目の昼食は、すぐ近くの軽井沢で一番との声が寄せられているそば店、会員を二手に分けて昼食の上、やはり近くの庚申塚公園に建つホームズ像に詣で、再会と共に鈴木校長の冥福を祈った。

 2日目の午後も会員を二手に分け、一組は会場に留まって見学者への説明役と展示品の管理役、一組は軽井沢に初めて訪れた人や不案内な人の観光。ホームズ像近くの平岡篤頼文庫を覗き、白糸の滝、三笠ホテル、聖パウロ教会、軽井沢を拓いた宣教師ショーの別荘(再現してショーハウスと教会)、旧軽井沢銀座などを巡り、後夜祭として旧軽井沢ロータリ―近くのドイツレストランでドイツビールとアイスバインなどの名物料理を堪能した。参加会員は今年もハイセンスなホームズ研究とやはりハイセンスな軽井沢観光を楽しんだ。

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